いつもポケットにショパン(全3巻セット) (集英社文庫) [ くらもちふさこ ]
少女漫画で初めての本格的な音楽漫画です。
クラシックの世界を舞台に、繊細で不器用な少女の揺れ動きながら成長する心を丁寧に綴った、くらもちふさこの初期の代表作。
須江麻子は有名ピアニストを母に持つ小学生。母にはピアノを教わらず、別の先生のところに幼馴染のきしんちゃん(緒方季晋)と一緒に通っています。きびしい母とはうまくいかず、きしんちゃんと、きしんちゃんのママの方に心を寄せる麻子でしたが、小学校の卒業を間近に控えたある日、きしんちゃんが日本の中学には進学せず、ドイツに留学すると聞かされます。
感情表現が苦手な麻子は、あっさりと流してしまい、きしんちゃんに
「あっけないんだな、麻子ちゃんは。」
と言われてしまうのです。
中学生になった麻子は、ドイツに行ったきしんちゃんとママが列車で事故にあい、ママが亡くなりきしんちゃんが失明という新聞記事を見てしまいます。そしてその時、きびしくて冷たいと思っていた母が涙を流すのを見てしまいます。
やがて麻子は、都内の音楽高校に進学し寮生活に入ります。麻子の希望はこの学校で一生懸命音楽の勉強をし、ドイツに留学して、きしんちゃんを探すこと。
麻子はきしんちゃんと会えるのか。
・・・会えます。ネタバレですが、この展開で「会えませんでした。」ってまずないですよね。
会えますが、勿論その先にいろいろとあります。
再会したきしんちゃんは、昔とは打って変わって麻子に辛くあたるのです。それは、麻子の母ときしんちゃんのママ、そして亡くなったと聞かされていた麻子の父の過去に関係する事柄でした。実はきしんちゃんのママは麻子の母をずっと憎んでいたのです。ドイツで失明したきしんちゃんは亡くなったママの角膜を移植します。自分の目になったママの思いがある限り、麻子母娘を憎まなければならない、麻子を好きになってはいけないと思い決めていたのです。
きしんちゃんのピアノは個性的で、コンクール向きではありません。そのため実力はずば抜けているのですが、優勝経験がなかったのです。上級生の上邑さんは麻子に、ほとんどの人は自分の個性を殺して教授のお気に入りのピアニストに収まる。それが日本に名ピアニストが育たない原因だと語ります。
ところがきしんちゃんは誰に何と言われても自分の個性を押し殺そうとはしない、まれにみる強さがある。つまり、こうと思ったことはやり通すとということで、麻子をママの代わりに憎み続ける気持ちも変えないのです。
感情表現が苦手だった麻子は、物語の序盤ではピアノも今ひとつパッとしない子でした。
有名ピアニストの娘、というプレッシャーも麻子のコンプレックスに拍車をかけ、素直に感情を出すことができない要因になっていました。
その麻子がピアノや音楽を本当に愛するようになってから、自己を素直に表現するようになり、それとともにピアノもぐんぐん上達していく過程が非常に読み応えがあります。そして母のことも少しづつ理解していき、それにつれ音楽に深みが出てくるのです。
公開講座を開講した麻子の母、愛子が受講生の女の子にキャベツの千切りを思い出して楽しく。と指導したところ、その子の母親が娘には包丁を持たせたことはない、ケガしたら困るから。あなたは自分の子供にはさせられるのか?と聞かれます。それに対する愛子の返答が
「麻子はシチューが得意です。」
それこそ得意げに、誇らしげに麻子の母が語るこのセリフが、物語のクライマックスに心に沁みていきます。不器用な麻子にあえて自分で髪を編ませることで、ワーキングマザーのためあまり一緒にいられない麻子の成長の目安にしてきた母が、ピアニストの卵であるにも関わらず麻子に包丁を使わせ、生活させるためにどんどん突き放したことを、麻子自身が悟り、初めて母の愛に包まれていたことを知る感動的なシーンです。
少女漫画ですが、大人になってから「わかる」作品です。麻子と自分を重ねる大人の女性が多いのもうなづけます。麻子と同年代のうちは、あまりピンとこないかもしれないですが、麻子の持つ「不器用さ」「自己表現の拙さ」が実は誰もが持っており、人によっては思春期に苦しむ要因にもなっていることがわかるようになる年代に、より強く響くのかもしれません。
また、出てくる大人が素敵です。まず絵がちゃんと「大人」です。最近の漫画によくある、高校生の顔にほうれい線を書き足しただけの大人ではありません。フェイスラインのたるみや目が下がり気味のところ、表情も歳と経験を重ねた大人の表情になっています。
そして大人としての態度を取ります。麻子の両親、恩師など、人生の先輩として毅然として子供に向き合います。
子供の絵も可愛いです。幼い頃の麻子ときしんちゃんや、須江家の別荘に送り込まれたピアノ少年の、丸くて柔らかい頬の感じ、高校生たちの表情も不安とプライドとが渾然一体となった、この時期特有の魅力があります。