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音楽小説 蜂蜜と遠雷(上)その2 あらすじとネタバレ

蜜蜂王子と天才少女

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1次予選は異色の天才少年、風間塵の出番です。塵の天才少年との評判は既に観客にも届いているらしく、ステーイに出ると割れんばかりの拍手で迎えられました。それに16歳という年齢よりもさらに子供っぽい様子で応えてお辞儀をし、ピアノの前に座ると弾き始めます。

「何だ?この音は。」

その音に驚愕したのは審査員の一人でマサルの師、ナサニエルです。音の鳴りが他のコンテスタントとまったく違うのです。一人で弾いているとは思えない立体的な音と、観客がぎっしり入っているにもかかわらず長いリバーブタイム、通常ではありえなかったのです。塵は微笑みを浮かべ楽し気に弾いていました。その様子は塵の音楽がなんの気負いもなく自然と生まれてきたものであると示すようでした。

風間塵の演奏はここでも物議を醸し、審査員の評価は割れました。割れるだけではなく審査員の間にパニックすら与えたのです。

嵯峨三枝子は何となく風間塵の音楽がもたらすものがわかってきました。塵の音楽は心の中の一番柔らかいところに触れてくるのです。それは音楽の理想とも言うべきものだと三枝子は思うのでした。また、三枝子は最初に聞いた時ほど塵の演奏に嫌悪感を感じなくなっていました。

一方、復活がかかっている栄伝亜夜は不安のあまり居たたまれなくなっていました。自分は落ちる、一次予選で落ちるとの思いにとらわれていたのです。亜夜は奏に誘われ風間塵の演奏を聴きに客席に向かいました。塵の演奏は亜夜の不安を

「このように弾きたい。」

という思いに変えていきました。

亜夜はステージに立った瞬間から周囲の空気を変え、格が違う音楽を奏でナサニエルをして

「マサルのライバルは風間塵ではなく栄伝亜夜だ。」

と思わせたのです。

そのマサルは、亜夜を見て懐かしい想いに駆られます。実は亜夜はマサルを最初にピアノへと導いた少女だったのです。マサルは演奏を終えた亜夜に会いにひたすら会場を駆け抜けます。

「アーちゃん!」

「マーくんなの?」

二人はようやく再会したのでした。

一次予選には四人全員が通りました。ただ、風間塵の評価が割れたため一次通過ギリギリのラインになってしまったのですが。

二次予選

二次予選の目玉となる曲は、芳ヶ江国際ピアノコンクールのために作曲されたオリジナル曲「春と修羅」です。この曲のカデンツァ部分は「自由に、宇宙を感じて」と指示があるだけの即興演奏です。

亜夜はマサルと即興部分をどうするか話していた時、ぶっつけ本番の本当の即興にすると話しマサルを驚かせました。クラシックの演奏者は即興とはいっても予め譜面に起こしたものを練習して弾くことが圧倒的に多いのです。亜夜はクラシックから離れていた間ジャズやフュージョンを演っていたのです。それでアドリブに抵抗がないのでしょう。予め作って練習していった演奏では「自由に、宇宙を感じて」から外れていってしまう、というのが亜夜の主張でした。

一方明石は、カデンツァをしっかりと作りこんでいました。社会人で時間がなく、音大も卒業してしまっているため改めて当時の恩師に指導を受けるのも憚られる明石は、考え方を変えて年長者でなくてはできない解釈で「春と修羅」に挑むことにしたのです。

明石は通勤中に昔よく読んでいた宮澤賢治を読み直し、「春と修羅」の舞台となったとされている場所を見に岩手まで出かけて行ったりして自分なりのイメージを固めていきました。

その行程を経て、早く人前で弾いてみたいと感じるようになり二次予選を迎えたのです。

風間塵は客席で二次予選を聴いていました。塵は音楽の本質に体や行動が自然と反応してしまうようで(そこがこの少年の面白いところなのですが)上手いだけで面白みがない演奏だと眠ってしまい、楽しめる音楽だと自然とグルーウ”に身をまかせて揺れています。傍目には同じことに見えているのですが、明らかに塵の中では違います。

塵の唯一の師、ユウジ・フォン=ホフマンは

「音楽は現在でなければならない。」

と常々塵に伝えていました。曲が生まれた時代の背景や、曲の仕組みを知ることは大切なことだけれど、現在を生きるものでなければならないのです。

塵は高島明石の演奏を聴いて、その音の中に豊かなイメージを感じ取り気に入りました。宇宙まで感じられるイメージに驚いてもいたのです。

三枝子とナサニエルは、「春と修羅」の作曲者である菱沼忠明から、風間塵がピアノを持っていないこと、養蜂家の息子で父親と一緒に旅の暮らしをしている塵は、旅先でピアノを借りては弾いていたといいます。ユウジ・フォン=ホフマンと出会うまで、そのような練習だったという話に三枝子とナサニエルは驚愕します。

二次予選二日目、マサルは「春と修羅」を弾く夢を見ながら目覚めました。マサルは「春と修羅」で全部説明しきらない余白を表現すると決めました。そのためにどうすればいいか見つけたときに喜びを感じ、早く弾いてみたくなったのです。試行錯誤の末見つけ出した自分の「春と修羅」、その感覚を再現するためにマサルは二次予選のステージに向かうのです。そして亜夜はマサルの演奏を聴きその引き出しの多さに簡単し、「春と修羅」の宇宙に鳥肌を立てるのでした。

一次予選で風間塵が弾いた曲はこちら


映画「蜜蜂と遠雷」〜藤田真央 plays 風間塵

Piano Sonata in F Major, K. 332: I. Allegro クリックでyoutube

栄伝亜夜にこのように弾きたいと思わせ、彼女の復活の一助となった演奏がこれです。

そして亜夜の演奏はこちら。


映画「蜜蜂と遠雷」 ~ 河村尚子 plays 栄伝亜夜

淡々と進んでいくコンクールの中にたくさんのドラマがあるのですが、あらすじをまとめるのに非常に苦労しています。時間が欲しい。

下巻は映画の公開が終わってから更新しようかな。

音楽小説 蜜蜂と遠雷(上)その1 あらすじとネタバレ

芳ヶ江国際ピアノコンクール・・・4人のコンテスタント

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映画、「蜜蜂と遠雷」を公開初日に観てきました。音楽映画はやはり劇場でよい音響で観るのが一番です。映画中の音楽以外の音も堪能できます。ぜひ公開中に観ることをお勧めします。

原作小説は、芳ヶ江国際ピアノコンクール(モデルとなっているのは浜松国際ピアノコンクール)のパリオーディションシーンからはじまります。モスクワ、パリ、ミラノ、ニューヨーク、芳ヶ江の各地でのオーディションで選ばれた90名が、芳ヶ江で行われる1次予選に参加、その90名は3次予選までに12名に絞られます。そして3次予選を突破した6名が本選に駒を進めるのです。

その中のパリオーディションに、クラシックのピアニストとしてまるきり異端としか思えない16歳の少年が出場するところから物語ははじまります。移動に時間がかかり遅刻したため、順番が最後となった彼は泥だらけの手、カジュアルなシャツとパンツで現れ、立て続けに課題の3曲を弾いたのです。その演奏は他のコンテスタントとかけ離れていました。音色が、まったく同じピアノと思えないほど違っていたのです。それだけならよくあることで、よい演奏者なら同じ楽器を使っていても、同じ楽器とは思えないほどいい音を出すものなのです。しかし、この少年の音はそのレベルではありませんでした。

審査員の一人、嵯峨三枝子はその音に恐怖すら感じました。恐怖を感じつつも耳はその音を聴きたがり前のめりになっていくのです。三枝子の恐怖はやがて、なぜか怒りに変わっていきました。

少年のオーディションの合否は揉めに揉め、決定に時間がかかりました。その少年、風間 塵(かざま じん)は恐らくほとんど正規の音楽教育を受けていないであろう、その塵がオーディションに合格した理由は、三枝子が恐怖に駆られるほどの圧倒的な才能ともう一つ、塵がユウジ・フォン=ホフマンの推薦状を携えていたことによるものでした。

コンテスタントの一人、栄伝 亜夜(えいでん あや)は20歳。かつて天才少女と呼ばれ、幼い頃にCDデビューを果たし演奏活動もしていたが、13歳のときステージを直前でドタキャンします。亜夜の最初のピアノの先生でありマネージャーでもあった最愛の母が亡くなり、それから間もないコンサートで母の不在を強く実感してしまった亜夜の中から取り出すべき音楽が消えてしまったのです。

演奏活動から離れ、普通の高校生として生活するようになった亜夜の元に、母の音大時代の友人の男性が訪ねてきました。浜崎と名乗るその男性は亜夜の非凡な音楽性が今でも彼女の中に息づいているのを認め、自分が学長を務める音大に誘ったのです。クラシックの演奏活動はまったくしていなかった亜夜でしたが、音楽は今でも身近にあり好きだったため、音大進学を決めたのでした。

亜夜は身の回りの音すべてから音楽を聴くことができ、それが彼女をして天才少女と呼ばわしめた才能であったのです。

高島明石は28歳、コンクール出場年齢ギリギリの明石は音大を出た後、楽器店に勤務し教師の妻と保育園に通う息子の三人家族という異色の存在です。地に足のついた生活者の音楽を奏でる明石は常にある疑問を抱いていました。

「生活者の音楽は、音楽だけを生業とする者より劣るのだろうか。」

抜きんでた才能があるわけではない明石ですが、音楽には縁のなかったはずの祖母の耳のよさを身近に感じ、音楽は一部の天才だけのものではないと生活の中の音楽を大事にするのでした。明石の祖母は、明石や遊びにくる明石の友達の弾くピアノの音色を聴いて、性格や精神状態を言い当てるのでした。深いところで音楽を聴く人だったのです。

マサル・カルロス・レウ”ィ・アナトールはフランス人を父に、日系三世のペルー人を母に持つ、今回のコンテスタントの中で一番の注目株です。幼少の頃一時期日本に住み、その後フランス、アメリカと移り住み、現在はジュリアードに在学する19歳です。ジュリアードの王子様、との異名も持っています。マサルはその出自と成育歴から多国籍な感性と雰囲気を持ち、すでにスターとしての貫禄を身に着けていました。もちろん雰囲気だけでなく実力もずば抜けていたのです。

マサルがピアノに初めて触れたのは、日本に住んでいた時です。近所に住んでいたピアノを習っている少女との出会い、その少女とピアノの先生に耳の良さを見出されたのがきっかけでした。マサルがフランスに帰国することになった時先生はぜひピアノを習うように勧め、その言葉通りにフランスでピアノを習いはじめたマサルはたちまち頭角を現し二年後には神童として広く名を知られるようになったのです。

1次予選

一次予選がはじまりました。高島明石の演奏シーンは、明石の妻満智子の目を通して語られます。満智子は明石とは幼馴染です。研究者一家に生まれ自らも研究者を志し挫折した満智子は、音楽の道を一度挫折して再挑戦する明石に共感し応援し続けていたのです。

明石の出番の前から聴いていた満智子は、他のコンテスタントを

「みんな上手だな。」

と感じていたのですが、明石の演奏を聴き同じピアノなのに全然違う印象があることに気づくのでした。音楽とは人間性であることを、子供の頃ピアノを少し習っただけでそれ以外には無縁だった満智子をして気づかせた明石の演奏でした。その音には満智子のよく知っている明石の人柄が現れていました。

そして明石の演奏は審査員にも大きな印象を与えたのでした。音楽を聴いた感じ、という感想をもらす審査員もいるなか、嵯峨三枝子は、明石の名をしっかり覚えこんだのでした。

栄伝亜夜は、客席を占める観客のあまりに驚いていました。今日はジュリアードの王子と呼ばれるコンテスタントが出ると浜崎奏(はまざき かなで)に聞かされ、怪訝な表情を浮かべます。奏は亜夜を自分の音大に誘った浜崎学長の次女で今回は亜夜のマネージャーのような立場で同行し、何くれとなく世話を焼いています。大らかで少し天然な亜夜としっかり者で常識人の奏は相性もよく、姉妹のように付き合っています。

奏の言うジュリアードの王子様がステージに姿を現したとき、その華やかな雰囲気に圧倒されながらも亜夜は、なぜか懐かしいものを感じるのでした。王子の演奏がはじまり、他のコンテスタントとの徹底的な違い、スターの持つオーラ、まさしく王子である気品に客席も審査員席も虜になっていったのです。

一次予選最終日、亜夜の出番がやってきます。

芳ヶ江国際ピアノコンクールで実際に演奏された曲はこちら

映画、「蜜蜂と遠雷」では、4人の登場人物の演奏をその個性に合わせて違うピアニストが吹き替えをしています。


映画「蜜蜂と遠雷」〜福間洸太朗 plays 高島明石 [ 福間洸太朗 ]

明石が一次予選で本当に弾きたかったのはこの曲です。時間制限に引っかかるので諦めました。

Chopin – Ballade no. 4 in F minor, op. 52 – Kotaro Fukuma クリックでyoutubeへ


【ポイント10倍】金子三勇士/映画「蜜蜂と遠雷」〜金子三勇士 plays マサル・カルロス・レヴィ・アナトール[UCCS-1252]【発売日】2019/9/4【CD】

そして、ジュリアードの王子様マサル・カルロスの吹き替え、金子三勇士の演奏です。一次予選でマサルが弾いた曲が見つからなかったのでこちらを。

金子三勇士 – 献呈(シューマン/リスト編) S.566 クリックでyoutubeへ

長い作品なので分割します。その2へ続く。

 

 

 

気分はグルービーと聖夜に登場する曲(聖夜編)

気分はグルービー編はこちら

さて、本日は聖夜に登場する曲のうち、ロックの紹介です。クラシックや現代音楽についてはまた今度。聖夜の主人公、一哉はキース・エマーソンに衝撃を受け、オルガンの入ったロックやジャズを片っ端から聴くようになります。ネットのない時代ですからラジオです。この頃は中学生くらいからラジオを聴き始め、深夜放送にはまるのが一般的でした。エア・チェック(FM放送から音楽をカセットテープに録音すること)が流行っていた頃です。

Tarkus/Emerson, Lake & Palmer (クリックでyoutubeへ)

一哉が自宅の教会の礼拝堂で練習している曲です。教会からEL&Pが流れていたらびっくりしますが、ちょっといいな、とも思ってしまいました。短めバージョンです。それでも10分近いです。

展覧会の絵/Emerson,Lake&Palmer(クリックでyoutubeへ)

一哉の日課は、祖母の部屋でオルガンを弾いて聴かせることです。この日、元ネタのムソルグスキーの展覧会の絵を弾いていたのですが、最後にちょっとだけEL&Pバージョンを弾きます。そしてある日、学校の礼拝の後奏で同じ曲を弾いて、それを聴いた深井に声を掛けられるのです。後奏とは、礼拝の参加者が礼拝堂を出る時に弾く曲です。これで退場するの大変そうですよね。フルバージョンです。40分あるのでお時間あるときにどうぞ。

Love Beach/Emerson, Lake & Palmer -(クリックでyoutubeへ)

深井に「あれ、聴いたか?」と聞かれるEL&Pのアルバムから、タイトル曲です。この後、深井は「今のプログレはもうだめだ。」と語ります。プログレの最盛期は70年代前半、80年代には音楽シーンがガラッと変わります。パンクが生まれ、AORが台頭します。深井はプログレの終焉を見据えながら、語る相手がいなかったのを一哉に一気にぶつけるように喋り続けるのでした。

Kid Charlemagne/Steely Dan – (クリックでyoutubeへ)

Sign in Stranger/Steely Dan- (クリックでyoutubeへ)

深井の部屋で聴かされた、スティーリー・ダンのアルバム「The Royal Scam」より深井お勧めの1曲目と一哉が気に入った4曲目。

彩/Steely Dan-(クリックでyoutubeへ)

次にかけたアルバムをフルバージョンで。ちなみに二人が気に入ったのは「The Royal Scam」の方です。

Romantic Warrior/Return To Forever –  (クリックでyoutubeへ)

深井の家で聴いた最後のアルバムです。この後、二人は「アーバン」のライブを聴きに行きます。

先日のグルービーの曲と合わせ、80年初めの高校生が演奏していた曲のだいたいの傾向がつかめたでしょうか。バンドサウンドが主流になり音が厚くなってきましたが、まだギター一本で弾き語りも健在でした。それにしても深井くん、音楽的に早熟ですね。

そしてアーバンの笹本さんです。一哉の見立てでは20代半ばくらい。一哉たちより8歳位年上だとします。すると72年に高3です。アポロン世代が66年に高2ですから、笹本さんは薫たちの5歳下です。当時はフォークブームではありましたが、当時の高校生がEL&Pとか演ってたんでしょうか。

演ってたらしいです。プログレの他にブルース、ハードロック、スティーリー・ダンにリトル・フィート、クルセイダーズにスタッフなど、深井だけじゃなく音楽的に早熟な高校生がたくさんいました。音楽の世界が豊かだった時代です。密かにフォークソングを馬鹿にしてたという話も聞いたことがあります。余談ですが。

その笹本さんのセット、ハモンドとエレピを直角に置き、エレピの上にシンセを置いています。エレピはローズでしょうか。



RHODES ローズ / Mark7 73S Gloss Black 購入はこちら

このセッティングは寿子もよく使っています。寿子は自分のシンセ一台以外は現場にあるものを使っているようです。シンセは見た感じDX7かと思ったのですが、DX7は83年5月発売、83年は寿子は高3です。3年生になってからシンセが出てきたならDX7の可能性もあるのですが、2年生で出てきてしまうので違いますね。

残念だな。なんとなく寿子にDX7持っていて欲しかった。

DX7

DX7 これが出てから歴史がまた一つ動いたといっても過言ではない、名器です。

機材の話、面白いので改めて別に記事 にしてみようかな。

こちらなら絶版の気分はグルービーも買えますよ。

もったいない本舗

音楽小説 聖夜 あらすじとネタバレ

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聖夜 (文春文庫) [ 佐藤 多佳子 ]
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「聖夜」は、佐藤多佳子作のミッションスクールのオルガン部に所属する高校生、鳴海一哉の物語です。牧師を父に持つ一哉は、父と祖母の三人暮らし。幼い頃から教会のオルガンを身近に感じながら育った一哉はオリヴィエ・メシアンの曲にチャレンジする一方、キース・エマーソンに心を魅かれています。自宅は教会ですが神は信じていません。信じていませんが、学校では聖書研究会にも入っています。
 
元ピアニストの母はドイツ留学中に父と知り合い、牧師夫人となってからは礼拝で弾くためオルガンを学びはじめます。ところが、一哉が十歳の頃両親が離婚します。母は
「オルガンの師匠と結婚してドイツに行く、一哉も連れていく。」
と言いますが、一哉はそれを断り日本で父と祖母の暮らすことを選ぶのでした。一哉は母が許せなかったのです。父を裏切ったことではなく、母が母でなくなったことをです。
 
小6の頃、一哉はテレビでEL&P(エマーソン、レイク&パーマー)を知ります。キーボードのキース・エマーソンがナイフをオルガンに突き立てる映像は一哉の心に衝撃を与えます。この男は悪魔か?と思い、それと同時にこれだ、これがやりたいんだと悟ります。母の残していったオルガンにナイフを突き立てたいと思ったのです。それからEL&Pのレコードを買って耳コピをはじめるようになります。EL&Pを耳コピするというだけでも、相当耳がいいのでしょう。案の定、一哉は絶対音感を持っており、生活音を次から次へと五線譜に書き込むということもしているのです。
 
オルガン部の後輩、天野真弓は技術的には平凡だけれども、音楽的に非凡なものを持っていると一哉は感じています。譜読みが遅く、なかなか曲が完成しない天野の音は、どこにいても届き、彼女の弾く音だとわかるほど美しく個性があったのです。それは子供の頃からピアノやオルガンに親しみ、絶対音感も持っている一哉にはない、生まれ持ったセンスや才能なのです。一哉は天野に
「あんたは演奏者だ。」
と告げます。
 
高校の礼拝の奏楽はオルガンの部員が交代で担当します。一哉は当番の日、イライラをぶつけるように「展覧会の絵」をEL&Pバージョンで弾きます。先生には叱られますが、それを聴いた同じクラスの深井にEL&P好きなのか?と問われます。深井は実はギタリストで、EL&Pもよく聴くのでした。兄の影響でディープパープルやレッドツェッペリンを聴くようになった話から、プログレにはまってキング・クリムゾンやイエス、ピンク・フロイドの話を夢中になって聞かせたあげく、今好きなのはラリー・カールトンだと話します。ところが、一哉はEL&P以外は知らないのでチンプンカンプンなのでした。
深井の知り合いの社会人バンドがEL&Pのコピーもやっていると聞き、興味を持った一哉に深井は今度一緒に聴きに行こうと誘います。
 
文化祭の日、一哉はオルガン部の演奏をすっぽかして深井とライブを見に行きます。
初めての生の音は一哉の心を揺さぶり、深井の知り合いのバンドのキーボーディスト、笹本さんに一哉は質問します。
「キース・エマーソンは破壊者ですか?解放者ですか?」
笹本さんはそれに答えて
「キースは音楽家だよ。」
と言います。その言葉に一哉は感動を覚えるのでした。
終電を逃し、深井の家に泊まって翌日帰宅した一哉は、父に叱られます。その時に、いつでも清く正しい聖職者であると思っていた父の犯した罪を知らされます。
 
ラストシーンはオルガン部のクリスマスコンサートのリハーサルです。天野の弾くバッハを聴いた一哉の心の中に
「神様!」
と思いがけない言葉が浮かびます。
そして、クリスチャンではない天野の弾くバッハに神が宿ると感じるのでした。
 
佐藤多佳子さんらしく取材が行き届いた作品です。そのため、音楽について結構突っ込んだ話が随所に盛り込まれ、そちらでも楽しめます。オルガンの話は勉強になります。
ライブを聴きに行く前に深井の家でレコードを聴くのですが、その選曲も高校生にしてはマニアックで面白いです。
一哉は深井に、一緒にバンドをやろうと誘われ、まだバンドをやることはイメージできないが、曲を書いて深井に渡してみよう、と思うのでした。
 

音楽小説 一気に紹介

キャバレー

矢代俊一、19歳、大学生。ジャズに魅せられた彼は、大学を中退し場末のキャバレーでサックスを吹く。客が誰も聴かない場所で修行を続ける。いつか世に出る力をつけるために。その俊一に毎回同じジャズの名曲をリクエストするヤクザの男がいた。

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聖夜

牧師を父に持つ一哉は、高校でオルガン部に所属している。オルガニストの母は家を出て行った。一哉が気になるのは同じオルガン部の後輩、天野の出す音。

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キャバレー あらすじとネタバレ


【中古】 キャバレー / 栗本 薫 / 角川書店 [文庫]【ネコポス発送】

キャバレーは栗本薫作のジャズ系ハードボイルド小説です。(注:そんなジャンルは存在しませんよ)栗本作品のうち現代ものに何度も登場する、サックスプレイヤーで作曲家の矢代俊一の若き修行時代を描いています。Wikipediaによると(架空の人物なのにWikipediaに載ってます。かなり細かく作りこまれていて、リアルです。)22歳で「モントルー・ジャズ・フェスティバル(実在の音楽フェス)」に飛び入りでセッションに参加し、観客を総立ちにさせた伝説の持ち主です。この頃はまだ無名だった矢代俊一は一躍有名になり、23歳でレコードデビューを飾ります。

キャバレーはそれより以前、19歳の大学生だった矢代俊一が下町のキャバレー「タヒチ」でジャズ修行をしている時代の物語です。いわば卵の中の天才が卵から孵るお話です。
天才ジャズミュージシャン矢代俊一と、ジャズには縁のない、そのくせ確かな耳だけは持っているヤクザの滝川との交流をメインに、さりげなくジャズの楽曲について解説も入ります。

滝川は自分が殺した男の部屋で見つけたレコードではじめて聴いたジャズが気になり、俊一の演奏するキャバレーでその曲「レフト・アローン」のリクエストを繰り返すようになります。
そしてある日、俊一を席に呼び
「なぜにお前の演奏はレコードと違うのか。」
と聞きます。
下町のキャバレーですからリクエストといえば演歌にムード歌謡、そのような場所でジャズの名曲をリクエストする相手がまさかジャズに対してド素人であるとは思いもしない俊一は滝川の問いを
「お前みたいな若造がジャッキー・マクリーン演ろうなんざ百年早いわ」
と嘲られたと思い
「ジャッキーが聞きたきゃレコード聴きやがれ!俺が出すのは矢代俊一の音だ!」
と啖呵を切ります。
普段は大人しい俊一ですが、かっとなると見境がつかなくなり相手がヤクザであろうがなかろうが、くってかかってしまうのです。

それから数日後、店が終わった早朝、いつもの練習場所である川原で俊一は滝川と再会します。
俊一に対する滝川の態度はうってかわって、まだ子供の俊一に敬語を使い尊敬の念さえ感じさせるものになっていました。
そして俊一は俊一で、滝川がまったくジャズを知らないこと、それでいて俊一の演奏時の気持ちの変化や他のメンバーとの違いなどを正確に言い当てたことに心底驚きます。

滝川が若い頃からジャズに触れる生活をしていたらどうなっていたんだろう、と考えることがあります。
その確かな耳と、ヤクザの世界とはいえ一目置かれる存在であった滝川がジャズを早くに知っていたら、楽器を持っていたら、やはりミュージシャンになっていたかもしれません。

同じ栗本作品で、やはりサックス奏者を主人公とした「死は優しく奪う」にもチョイ役で矢代俊一が出てきます。キャバレーの少しあとです。作中で俊一は、主人公の金井恭平について
「昔知ってたヤクザに似ている。」
と語るシーンがあります。

金井恭平は俊一とは違うタイプのミュージシャンで、骨太で男っぽい、それでいて暖かな音を出します。周囲からもボスと呼ばれ慕われています。確かに滝川と重なる面があります。

滝川がミュージシャンとして俊一と出会っていたら、二人の関係性はまったく違ったものになっていたかもしれません。
それはそれで読んでみたかったような気がします。
単行本の帯のコピ-「若さの残酷、ヤクザの優しさ」がこの作品を一言で表していて切ないです。

映画化、ミュージカル化されました。ミュージカルではサックスプレイヤーではなくタップダンサーに変更されています。おそらくサックスをプロとして吹ける役者が見つからなかったためではないかと思います。ダンサーならミュージカルの役者の本業ですからね。それにバンド入れてしまうと転換とか大変そうですもんね。


[DVD邦]キャバレー [主演:野村宏伸/鹿賀丈史/三原じゅん子/原作:栗本薫/1986年作品]/中古DVD【中古】【P10倍♪5/9(木)20時〜5/21(火)10時迄】


栗本薫・中島梓傑作電子全集13 [ハード・ボイルド]

「キャバレー」とその続編、「黄昏のローレライ」、黄昏のローレライにも登場するサックスプレーヤー金井恭平を主人公とする 「死は優しく奪う」その他数作のハードボイルド小説とエッセイが収録されています。


栗本薫・中島梓傑作電子全集7 [朝日のあたる家]

矢代俊一はこちらにも名前だけ出てきます。日本では作曲家としても名が通るようになってます。ジャズプレイヤーの中では一番有名かもしれません。