ジャズ漫画 坂道のアポロンに見る60年代の音楽事情

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物語の舞台となる1960年代は、64年に東京オリンピックがあり66年にビートルズが初来日、まだまだ貧しかった日本ですが明るい希望に満ちていた時代でもあります。
ジャズはもちろんのことロックやフォークも台頭してきて、ビートルズやストーンズが日本中を騒がせ、一方でPPMやボブ・ディランもヒットチャートを賑わせていた、いわば世界的な音楽シーンの黄金期の始まりともいえるでしょう。日本では69年から中津川フォークジャンボリーが中津川市(現在)で開催されています。日本初の野外フェスです。中津川フォークジャンボリーはウッドストックよりも数か月前に開催されていたのです。
この頃から学生が自ら楽器を手にし、自己表現をするようになってきました。フォークジャンボリーにはアマチュアの飛び入りコーナーもあったのです。岡林信康、五つの赤い風船、高石ともやなどが活躍していた時代です。

さらに千太郎の弟妹、幸や康太の世代が高校に入る頃には日本はかぐや姫など四畳半フォークが盛んで、フォークソング同好会や軽音楽部のある高校も増えてきたようです。
上手い下手にかかわらずスリーフィンガーはやカーターファミリーは多くの高校生が弾けたとも聞きます。
ただ、今のようにネットなどにより、どこに住んでいても情報が共有できる時代ではありませんでしたから、手探りで音楽を作っていくしかなかった部分もありました。フォークギターの弾き方を教わる相手は学校の先輩や近所に住む高校生や大学生、兄弟などでした。Fのコードが難関で、セーハできないで挫折する人も多かったため、二人のギタリストの内一人は「F係」Fだけを弾くために一緒にステージに立って、Fを待ち構えて渾身の力を込めてセーハしていたという笑い話のようなこともあったということです。

坂道のアポロンの本編が終了後スピンオフとして掲載された作中では、次世代の影もちらついてきます。アポロンジュニア世代は団塊ジュニアでもありますね。ちょうど音楽に興味を持ち始め、楽器が欲しくなる年齢に差し掛かったころの人気番組が「いかす!バンド天国」でした。なので、迎勉さんが孫に
「ジャズやっとけ。」
と口ではいいながら、ムカエレコード店に「たま」のCDを置いたりしてたかも知れません。

そして令和を迎えた今、迎勉さんのひ孫世代が中高生の頃です。
音楽は今やCDですらなくダウンロードとyoutube、楽器がまったく弾けない作曲家が出現するこの時代、迎家のひ孫が熱中する音楽とは、意外とジャズかもしれません。

というのも、ライブハウスやスタジオで出会う20代くらいの若者の中には、
「ジャクソン・ブラウン大好きなんです。」
「好きなミュージシャンはニール・ヤングとザ・バンドです。」
という人も結構いるのです。ご両親の影響だそうです。子供の頃から馴染んだ音楽なのですね。
音楽がこのように世代から世代へ受け継がれていく、これって素晴らしいことだと思います。

また、最近の音楽はコードが複雑でお洒落なものが多いのですが、それをやってみたいと思った時にはジャズの勉強が不可欠なのです。そこからジャズに興味を持ち祖父や曾祖父に教えを乞うひ孫、なんていいですね。

ところで百合香さんの生んだ子供のうちどちらかは、母親の才能を引き継いでコミケで同人誌売ってそうな気がするのは私だけでしょうね。


ピアノミニアルバム 映画 坂道のアポロン ヤマハミュージックメディア

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